面白かった会話。「わたしは多分エンパスなんですよ」「エンパスって何ですか?サイコパスの逆ですか?」
おはようございます。
昨日、あるカウンセリング関係の女性とスカイプで話していて、私がいかに他者に対して共感性が高いかということを一言で分かりやすく理解してもらおうと、こう説明したのです。
「私は、ハイセンシィティビティーパーソン、HSP。
つまり【エンパス】なんです。【エンパス】って分かりますか?」
すると、その女性。
「エンパスって何ですか?サイコパスの逆ですか?」
わたし「えっ?!サイコパスの逆ではありません。ん、でも…」
(彼女、すぐさまPC検索したらしく)
彼女「ああ、共感性がとても高い人のことですね」
わたし「ええ、ああ、そうです。ん、さっきサイコパスの逆じゃないと言ったけれどサイコパスの逆みたいなものかもしれませんね。んん、確かに…」
私は18歳の時から自分をまっさらにして人の話を聴く【傾聴】のトレーニングをしているので、恐ろしいほど他者への共感性が高いのです。
18歳の頃から人の話を聴く時はそのような姿勢で聴いて来ました。
これは、相手にとって見たらいろいろなんでも共感してくれるからすごく心地良く気持ち良くなるのですが、聴いている本人は結構苦しいのです。
他者からは喜ばれましたが、感受性の高い子供の頃、境界線の引き方を知らずに人の話を聴いていたのでとても苦しかったです。
想像力フル稼働で、人のことを自分のことのように感じてしまって。
大人になってからもなかなか【境界線】が引けず苦労しました。
大人になってからは「共感」を「共感的理解」に変えるトレーニングをかなりやりました。
これも自分で勉強して。
ただ、逆の意味で境界線を引けていない人って、世の中たくさんいます。
分かりやすいのが、
【人の話を否定する人】。
人の話は人の話であって、自分の話ではないのだから、他者が何か話した時に、
「ああ、そうなんだね」
で、受け止めて終わりに出来るはずなのですが、自分と人の間に境界線が引けていない人は、人の話を自分のことのように捉え、いちいち否定してきます。
【肯定】や【承認】から入るのではなく、まず【否定】から入る。
【指示命令系】で育って来たコミュニケーションを学んでいない世代の人はこれを良くやりますね。60代より上の世代の人々。(自分は60代より上だけどそんなことはしないという方は読み流して下さいね)
自分に自信がない人も、これを良くやります。
まず否定から入る。【ダメ出し】ってやつですね。
とっても嫌ですね。
やられる方は、とってもストレスが溜まります。
でも、逆を考えたら、それをやられた方も「ああ、あなたはそう思うんですね(でも、私はそうは思いません)」と切り返せばよい。そこで相手の否定系会話にいちいち付き合う人必要もないわけです。
それが【境界線を引く】ということですね。
でも、可能であれば、そういう人とは距離を置くのが一番かなとは思います。
だって、いくらこちらが境界線を引くスキルを身に着けていても、否定ばっかりしてくる人は一緒にいても単純に楽しくないですから。
距離を置くのが難しい相手の場合は、別途関わり方・コミュニケーションの方法はお教えします。
そのために、アサーションとかコーチングというコミュニケーションの考え方があるのですね。
話が広がったのですが、
≪エンパスとはサイコパスの逆か?≫
との問いに、心理学的に言ったら正確には違うだろうから咄嗟に≪いや、そうではない≫と返したけれど、私個人に関して言えば、いや、まったくまさしくその通りだなと思いました。
たまーに、心理系のテストで【あなたのサイスパス度は?!】みたいなのを遊びでやるのですが、結果はいつも
【あなたはサイコパスではありません!!サイコパス度0パーセント。あなたはなんと善良な人なのでしょう!!】
みたいに出てきます。
人の苦労や悲しみを自分のことように捉え、それで自分が悲しくなりすぎるんだから、それはサイコパスではないわな。
あ、でも今は境界線引けますよ。
うん、確かにサイコパスの逆。
むしろ逆。
と言うわけで昨日の彼女は良いことを言ってくれました。
こらからは自分自身がエンパスであると言うことを説明をする時に【サイコパスの逆です】と説明することにします。
よろしくお願いします。
それではみなさん、今日もどうぞ良い一日をお過ごしください。
いってらっしゃい。
(友達が送ってくれたちっちにそっくりな猫ちゃんの絵。画家の山下貴史さんの作品です。可愛いのでご紹介します)